TEAM FINALIST OFFICIAL WEBLOG

京都を拠点に活動する総合レジャークラブチームファイナリストのブログです。主な活動はラリー、ダートトライアルを中心とした国内B級ライセンスによる趣味のモータースポーツ活動ですが、その他いろいろやります。

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近畿地区のダートラ場をめぐるシリーズ 舞州スポーツランド

ひさしぶりに近畿ダートラ場シリーズ更新!

2001~2004年頃まで
今はジムカーナ場として使用されている舞州スポーツランドの軽飛行場跡地。非舗装の島をつないでムリクリダートラ場として2&4が使ったのが、ここがモータースポーツに使用されるきっかけとなったのではなかったかと記憶している。
埋立地なので、地形のアップダウンはなし。元飛行場なので、滑走路としての縦の距離はかなりとれるが、横の距離は2~30mってところ。非舗装の島をつないでクネクネ走らせるため、ミラージュとかなら1-2速主体(当時乗っていたミラだと2-3速)のコースとなり、舗装の上のコーナリングも当然ながら出てくる。非舗装島でスピードに乗ったコーナリングができるようなコースレイアウトなら、純粋に車の動きを楽しめることができ、なかなか面白いところであった。
当初はポテンザカップというBS後援の単発シリーズで使用されていたが、コースレイアウト、競技進行、表彰式の副賞や抽選会など、参加者のほうに向いたいいイベントであったが、JMRCシリーズや全日本での開催ではだんだんと内向きな運営となり、非舗装の島は直線のみ、コーナーは舗装部分でみたいなつまらないイベントに成り下がってしまったのは残念であった。まあ、ダートラ場として使用し始めた次の年あたりに、隣にオートキャンプ場ができて、砂埃舞う騒がしいイベントは敬遠されてしかりである。
しかし、土地利用計画がことごとく失敗している舞州といい、まったく利用されていない無駄の場所夢州といい、信じられない額の消えた税金と失われた環境の責任を、懐を肥やした政治家、役人、天下り企業群にきっちりととってもらいたいものである。


tada選手ミラX4の外撮り&車載。ポテンザカップの最終戦だったかな?
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近畿地区のダートラ場をめぐるシリーズ 日高川ダートトライアル場

1993~1997年頃まで

前回の名阪スポーツランドの記事を見れば理解していただけると思うが、近畿地区のダートラ場にはフラットダートという観念がなかった。そこに現れたのが、和歌山県は日高川の川原を使ったダートラ場の噂。「ギャランなら4速に入るストレートが実現可能なギャップなしフラットダートラ場が和歌山にある!」
当時学生だった私の耳に入ったこの噂はとても魅力的で、4時間以上の時間をかけても確かめる価値のあるものに感じ、京都から”地道(学生にとって高速道路は高嶺の花)”で当時のウエスタンシリーズにて開催されたダートラにエントリーしたのだ。
果たして噂は本当で、実に楽しいダートラ場であった。帰りは国道の混雑を避けて通った山道ルートで血反吐を吐く思いをしたのも懐かしい思い出だ。(当時は33カルタス/FFデフ入り重ステで1速ヘアピンが永遠続く山道は苦行以外の何者でもなし)
映像は社会人になって高速道路で行ったときのダートラのものだが、アップダウンやギャップなしのきれいなフラットダートを2速/3速主体のコーナーや直線でつなぐ気持ちのいいコースである。大きい水溜りがあるのは、川原という特性上しかたがないがないが、うまく避けてラインを撮ることは可能で、決してコースの魅力をそぐものではなかった。
しかし、ここは日高川の下流にあり、土手をはさむと住宅街という立地のため、特に砂埃問題が大きく比較的短命で終わってしまい、残念であった。まあ、住民にしてみれば、休日に砂埃で洗濯物も満足に干せないというのは大問題で、ダートラ場なんてとんでもないであろう。


ファイナリスト前会長 イマイ選手のアルト車載映像



tada選手のミラ外撮り映像

近畿地区のダートラ場をめぐるシリーズ 名阪スポーツランド

~1998年頃まで(自信なし)
僕が大学に入ったとき(1991年)から、既に近畿地区のメインダートラ場として使われていた場所。
場所的には今のEコースがある辺りがスタート/ゴール。

コース的には野球場(今もあるのか?)に向けて上り下りするストレート、一番下には1速のヘアピン通称”たこつぼ”。たこつぼから上って、土手にはさまれた細い路である”S字”。これまたたこつぼから上って、こんどはEコースあたりからスタート/ゴールに向けて下って曲がって飛んで上ってを3速でいく”ジェットコースター”。近畿地区戦では主にパドック、大きいイベントではコースの一部として使われる、ABコースのはるか上にある”テーブルトップ”。という構成で、そんなに分岐点もないため、コースに慣れれば慣れるほど有利であった。

地面は基本的に砂地+粘土層であるため、常にギャップとワダチが絶えない状態。全日本開催前は化学の力で固いフラットな路面に仕上げていたが、普段は荒れ放題であった。スタートもほれにほれるため、FFはガードが乗り上げてカメさん状態になることもしばしば。車載はF塾長のEP82であるが、たこつぼに向かう下りはギャップで跳ねまくってほとんど接地していない。上りは画像がガクブル。ジェットコースターにいたっては、3速全開で下りこんで右に曲がりながらギャップで1mほど跳ねるという(@ランサー3)チャレンジングなところであった。


F塾長の車載映像

そんなコースのため、攻略の勘所は”根性”。どんなギャップがあろうともアクセルを踏み抜く勇気と、ギャップで姿勢を乱さない足回りのセットアップを持つものが勝つコースであった。
雨が降るとベリー・スリッパリーで、大雨のイベントのときはたこつぼに至る道を使用しない短いコースとなることが多かったが、それでもS字に入る1速コーナーののぼりを登れずリタイアするFF車が10台以上出たこともあった。

雨の名阪。tada選手の外撮り映像。2本目は泥が飛んでちょっとマシになってます。

なお、年末にお祭り的に実施されるオールスター・ダートトライアル等のビックイベントでは、ABコースがスタートとなりそこでちょこっとジムカーナしてから、おもむろにS字に向かって全開でダートコースを駆け上がり、4速でS字に進入していくという、見ていてもおしりがむずがゆくなるというコース設定がなされていた。これはS字の入り口、ちょうど両側の土手が始まって軽く右に曲がらなければならないところでギャップがあり、リアが跳ねてとっちらかりながら2速のスピードまで減速して土手にはさまれた左コーナーにアプローチというまさに根性を試されるコース設定だったのである。

tada

近畿地区のダートラ場をめぐるシリーズ スポーツトピア大和

名前はこれであってたかな?~1991年まで。
僕が大学に入った年(1991年)を最後に閉鎖されたところ。大学入学したてで、右も左もわからないいたいけな少年時代にいきなりこんな劣悪環境でしかも雨が降っていて寒いところにつれてこられ、わけが判らなかったことだけ覚えている。昔話を聞くと、4速全開の下りとか楽しいコースだったらしい。

tada

近畿地区のダートラ場をめぐるシリーズ 湘南オフロードエリア

我がチームファイナリストもぼちぼち設立30年を数えるそこそこの歴史を持つクラブである。それなりに過去のデータの蓄積があるのである。
これからしばらく、そのデータの蓄積を生かし、近畿地区のダートトライアル場の歴史を振り返ろう。といっても編集人のキャリア約20年分であるが。

近畿地区は西のタカタ、東の丸和のように素晴らしい看板コースがない地区である。さまざまなコースが現れては消えながらこれまで来ているのである。


記念すべき第一回目は1992~2000年頃までダートラに使用された湘南オフロードエリアである。
なにを隠そう、我がチームがダートラ場としてJAFにコース登録していたコースであった。ここは元々建築廃材の埋立地で、そこそこ埋まってきたところでクロカン系のコースとして使用していたが、うちのチームでコースオーナーと交渉してJAFにコース登録し、近畿地区戦を開催したのがコース使用の発端であった。その翌年あたりから近畿地区ウエスタンシリーズの主戦場となり、4~5年くらいダートラで使用していたが、うちのチームがラリー主催へシフトしてダートラ主催から手を引いたのと、エントリー台数減によるウエスタンシリーズの廃止があり、JAFコース登録をやめてダートラ場としての役割は終えた。

以下の動画は地区戦での不肖tadaの外撮り映像。恥ずかしながらミスコースであるが、これしか手元になかった。このコースは周りは山で砂埃対策の散水というアイデア自体がなく、埃立ち放題である。視界がうんぬんとかいう議論はなかったと思う。

湘南オフロードエリアの動画


tada

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